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フラワーワークショップ開催のお知らせ

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  • 2012年10月29日

空高く、朝夕も冷え込む季節となりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。


今年もあとふた月ほどとなりましたが、年の瀬迫る12月、弊社ではじめてとなるワークショップを、アーネスト駒沢ショウルームにて開催させていただくこととなりました。
弊社では皆様の充実の生活をお手伝いする一環として、アーネストとお客様、そしてお客様同士の結びつきをお手伝いし、ひとつの大きなコミュニティを築き上げていければと考えております。


第一回目の内容は、「カスタムメイドのクリスマスリースを手作りするワークショップ」です。
アメリカでご活躍されてきたフローリストの山田ひろこさんを講師にお招きし、世界にひとつのクリスマスリースを作ります。


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※写真は山田さんの過去の作品です。ワークショップ当日に制作するものとは異なります。


おいしいお茶やお菓子を楽しみながら、ゆったり植物と触れ合う癒しの時間を満喫してみませんか?
皆様にご参加いただけることを、心より願っております。




概要  …………………………………


「カスタムメイドのクリスマスリースを手作りするワークショップ」


◆場所
アーネスト駒沢空間ショウルーム(東京都世田谷区深4-6 駒沢公園ハウジングギャラリーステージ2)
MAP  http://earnestgroup.net/showroom/   


◆日時
2012年12月1日(土) 午後13:30〜16:00(ワークショップ、お茶会の時間を含みます)


◆参加料
8,000円(税込み/材料費・お茶代込み)
※今回は、リースのベース色を赤色・白色・緑色からお選びいただく「カスタムメイド」でのリース作りをご提供する予定です。ご案内の際にご希望のベース色をお伺いさせていただきます。


◆参加方法
アーネストグループ代表番号 03-3769-3333
またはEメール earnest@earnest.co.jp
にて参加希望の旨をお伝えください。担当者より折返し詳細をご連絡させていただきます。


◆受付締切
2012年11月22日(木)


……………………………………………




* * * 講師のご紹介 * * *


サムシングオーガニック 山田ひろこさん


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1960年  東京都生まれ。
1982年  青山学院大学フランス文学科卒。イタリア家具(arflex)・インテリアデザイン会社勤務。
1986年  結婚のためロサンゼルスへ移住。 
1989年  ロサンゼルス自宅にてカスタムデザインのフローラルスタジオを開設。ウェデイングのフラワーサービス業をはじめ、NHKロサンゼルス支局のスタジオセットやオフィス・ホテル・ショップ等の花活け込み、またフラワーアレンジメントの教室を開く。全米コンテスト入賞数回。
花の雑誌『FLOWERS&』から掲載依頼あり。(Hiroko Craig)
1994年  帰国。青山生花卸売市場に勤務しつつ、フラワーアレンジメントの活動を開始する。
1995年  『花時間』12月号のクリスマスリース特集にて作品掲載される。
1996年  フローラルデザインスタジオ《サムシング オーガニック》を開設。ショールーム・オフィス・パーティーの活け込み・インテリア雑誌やカタログ撮影用の花活け込みやギフトのフラワーサービス等で活躍中。


山田さんには普段より、駒沢ショウルームの活け込みを担当していただいております。


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お花を扱う際には、あくまで主役であるべき人やその場・商品が引き立つアレンジを心がけておられるそう。
どんなアレンジとなるかは当日まで秘密となりますので、お楽しみになさってください。


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皆様のご参加を、心よりお待ち申し上げます。




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アーネストコラム酒酒落落 ニシザキ工芸社長・西崎克治さん 第4回(最終回) 深川八幡祭り 本番

  • アーネストコラム「酒酒落落」
  • 2012年10月22日

いよいよ「深川八幡祭り」の本番です。氏子各町を練り歩く「神輿連合渡御」の前日(今回は8月11日でした)に、各町内でお神輿の巡行が行われます。この日は町内の路地1本1本にいたるまで、くまなくお神輿を廻します。自分の家の前をお神輿が通るのを皆さん心待ちにしているのです。朝早く担ぎ手が神酒所前に集合し、いよいよ4年ぶりのお神輿の出発です。町内の巡行は一見派手さはありませんが、お祭りの本質をよく表していると思います。


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各町で町内お神輿巡行が行われる一方、富岡八幡宮からは「鳳輦(ほうれん)」(八幡宮の神様を遷したもの)を載せたトラックが各町を渡御します。


深川も少子化とは無縁ではありません。また高層マンションによる都市開発で、新住民が増えていることも事実です。お祭りを次代に継承するためには、こうした町の変化に対応する必要があります。深川八幡祭りでその橋渡しとなっているのは、子神輿や山車の存在です。子神輿は小学生まで、山車は幼児が中心になって参加します。私が祭りの虜になったのも、子神輿を担いだときの体験からでした。その興奮を忘れられず、今まで祭りに関わっています。三好2丁目の町内巡行は、大人神輿のうしろに子神輿、そのうしろに山車の順番で巡行します。幼児の引っ張る山車は、両親がカメラやビデオを持って同行し、まるで運動会のようです。


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太鼓を載せた山車を、小さな子どもと親達が一緒になってひっぱります。その先を練り歩く子神輿、大人神輿の次代の担い手たちです。


子神輿や山車の巡行は、祭礼委員の子神輿係、山車係の人たちを中心に運営されます。本当は自分たちも大人神輿を担ぎたいはずですが、子供たちを安全に巡行させるため、献身的に動いてくれるのです。また、総代が気を引き締めなければならないのも、この町内巡行の日です。翌日の「連合渡御」は大々的な交通規制をひきますが、町内はお神輿の前後しか規制できません。駐車している車を確認したり、ロープを使って対向車との距離をとったりと、祭礼委員や睦会と力を合わせ安全でスムーズな巡行を管理しています。子神輿といっても、深川名物の「水掛け」は容赦ありません。それをはね返すような担ぎっぷりは我々にとっても目を細めたくなる瞬間です。


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子どもたちも水浸しになってお神輿を担ぎます。


深川八幡祭り最大のイベント「神輿連合渡御」には、総勢54基の御神輿が参加します。毎回、渡御する順番は変わります。三好2丁目は38番。その後ろに付くのは2回目の特別参加となる「平泉」です。今回は世界遺産登録を記念しての参加とあって、注目を集めていました。12日の朝、三好2丁目を出発したお神輿は、六部会の集合場所である、木更木橋に向かいます。六部会に所属する11町会の神輿は、ここで順番通りに一列に並び、それから永代通りへと進みます。いよいよ連合渡御の始まりです。


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連合渡御の朝。総代になって7年目にして、出発の拍子木を入れさせてもらいました。順番からすると次は15年後でしょうか。


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木更木橋の手前に並んだ「六部会」のお神輿。


富岡八幡宮を出発したお神輿は、木場の貯木場跡(現在の木場公園)の外側をぐるりとまわり、深川資料館通りで小休止ののち、清澄公園の脇を通って清洲橋を渡り中央区に入ります。霊巌寺のあった霊岸島の交差点でお昼の大休止をしました。その行程を配給班の人達が先まわりして渡御を支えます。


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六部会の少女たちによる可憐な「金棒曳き」。


富岡八幡宮の参道脇に「天皇陛下御野立所」と書かれた小さな碑があります。昭和20年(1945)の東京大空襲により八幡宮は焼失し、昭和天皇はここから焼け野原となった深川一帯を視察されました。深川のお神輿も大半が失われ、その再建とお祭りの再開は、深川の人々の悲願となります。そして昭和23年お祭りが再開されると、深川の復興をいちはやく陛下にお知らせしたいと、皇居前までお神輿の渡御が行われました。それから約65年後の今年、8月12日に天皇・皇后両陛下は富岡八幡宮を訪れ、空襲を体験した方々と面談ののち、永代通りを練り歩くお神輿を史上初めてご覧になられました。


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富岡八幡宮の前から、天皇・皇后両陛下がお神輿をご覧になりました。


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永代通りでお祭りの興奮は頂点をむかえます。


一番の盛り上がりを見せるのは、永代橋を渡り永代通りから富岡八幡宮への道程です。普段は交通量の多い大通りも、この日ばかりは担ぎ手と観客で埋め尽くされます。富岡八幡宮の前では、三好2丁目のお神輿も天皇・皇后両陛下にご覧頂けました。夢のような時間はあっというまにすぎ、神酒所に戻った神輿を、いままで担げなかった人達が交互に担ぎ、本当にうれしそうでした。


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神酒所係、配給係、山車係、子神輿係、婦人部、町の長老達がお神輿を担ぎます。


お祭りというものは、お神輿を上げるずっと前、準備段階からがお祭りなのです。神輿総代である我々は、次の本祭りに向けての段取りが、いま始まったところです。


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富岡八幡宮神輿総代連合会 六部会総代 西崎克治




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アーネストコラム酒酒落落 ニシザキ工芸社長・西崎克治さん 第3回 江戸の開拓史を語る鳶の頭(かしら)

  • アーネストコラム「酒酒落落」
  • 2012年10月15日

いよいよ祭りが近づくと、各町で「御仮屋」や「神酒所」の設営が始まります。三好2丁目の場合は駐車場を借りて建てるため、お祭りのたびに設営・解体を行っています。設営のためやって来たのは、霊岸島の頭(かしら)と呼ばれる成田さんと鳶職たちです。霊岸島(現在は中央区新川)は隅田川をはさんで三好の対岸にあり、成田さん達はわざわざ橋を越えてきます。これには江戸時代からつづく歴史が関わっています。


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御仮屋と神酒所の設営。平日にも関わらず沢山の町の人が来てくれました。お神輿を組み立てるため、麻縄をもった霊岸寺の頭が登場します。


現在の霊巌寺(れいがんじ)は三好2丁目の近く、深川資料館通りに面しています。江戸時代の古地図を見ると、三好周辺は霊巌寺の敷地でした。松平定信の庇護も受けた、江戸有数の大きな寺だったのです。その霊巌寺は、元は霊岸島にありました。葦の原(干潟)を埋立てた霊岸島は、門前町として発展していきます。一方対岸の深川では、深川八郎右衛門による新田開拓事業が進んでいました。そして1627年、富岡八幡宮の社殿が造営されると深川一帯は多くの人で賑わうようになり、材木置場(木場)の移転や運河の開発によって、新しい町人の町へと発展します(当時の町の様子は、霊巌寺となりの「深川江戸資料館」でご覧頂けます)。


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霊巖寺の本堂は現在改装中。連合渡御の日は、元々霊巌寺のあった「霊岸島交差点」でお昼をとりました。不思議な縁を感じます。


やがて1657年、振袖火事として有名な「明暦の大火」により霊巌寺も焼けてしまいます。幕府は霊巌寺を深川に移転させ、寺の造営に関わる大工や職人たちも、そのまわりで暮らすようになりした。このように社寺の造営・移転や大火をきっかけとして江戸の町は隅田川を越え、東へと広がっていったのです。そういった歴史を背負いながら、10代つづく霊岸島の鳶職は三好までやって来ます。その縁を数百年にわたり守り続けている所も、お祭りの素晴らしさと思います。


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お神輿の組み立て。南京結びをした麻縄をお神輿の四方に結びつけ、一気に引っ張って締め付けます。


御仮屋の柱は、あとで分解しやすいよう針金を使って組んでいきます。お祭りの仮設建築に利用される独特の構造です。鳶の頭・成田さんは、お神輿の組み立てでも活躍します。担いだときにお神輿の重い屋根が落ちないよう、麻ナワを使って胴体に締め付けます。また木槌を使い、担ぎ棒をナワで連結する手際のよさも圧巻です。このロープワークは鳶職ならではの技で、素人はしっかり締め付けられません。


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木槌を上手につかって縄をしめ、担ぎ棒を連結します。渡御中にゆるむとみっともないことになります。


一方神酒所では、町の人達が集まり飾り付けを行います。3年に1度というのは微妙な間隔で、前回の記憶がおぼろげになることもあります。それを防ぐためデジカメで祭壇やお神輿などの記録写真を撮り、それをファイルにしています。正しい飾付けを次代に伝えるためにも、映像の記録が大切になると感じています。電気工事や大工仕事などは地元の本職が行い、現役をリタイアした人もお祭りのために腕をふるってくれます。三好2丁目を頼もしく思える一日です。


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町の人ひとりひとりが職能を持ち寄り、ひとつのものを作り上げていく。それこそお祭りの素晴らしさと思います。


こうした作業のまとめ役となるのが、町会で組織された「祭礼委員会」です。委員長をトップとした各係が組織され、それぞれの実務を担います。まるでひとつの会社のように、神酒所の運営から、会計、資材調達、食糧・水の配給、接待など、様々な仕事があります。お祭りの当日、食料・水を配給する係は、お神輿を先回りするため巡行を見られませんし、神酒所に詰める係や、宴会の支度をする係も同様です。町とお祭りを愛するからこそ、裏方の大切さを知り尽くした人達なのです。


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神酒所完成のあと、祭礼委員と睦が正装をして記念撮影。歴代の集合写真は、町の歴史を語っています。




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アーネストコラム酒酒落落 ニシザキ工芸社長・西崎克治さん 第2回 清澄庭園「涼亭」に集う

  • アーネストコラム「酒酒落落」
  • 2012年10月09日

今回はお祭りを企画・運営する組織についてご紹介したいと思います。深川八幡祭りは、門前仲町の富岡八幡宮を中心に開催され、正式には「富岡八幡例大祭」といいます。8月12日の連合渡御には、およそ3万人もの担ぎ手が参加し、観客をあわせ数十万人もの人々が深川に集まります。


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8月12日「連合渡御」には55基の御神輿が集結。


深川八幡祭りのエピソードで有名なのは、1807年に起った永代橋の崩落です。12年ぶりのお祭りに押しかけた群衆の重みに耐えかね、永代橋(当時は木橋)が崩れ落ちました。一説には千人以上の犠牲をだしたといわれます。ケンカや事故は祭りにつきものといわれるものの、お神輿を運営する「富岡八幡宮神輿総代連合会」は、担ぎ手と観客が融和し、伝統と「和」を大切にした安全なお祭りを実行するため、様々な工夫を重ねてきました。


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永代橋を渡る、三好2丁目のお神輿。


神輿総代連合会は、各町から5〜6名ほど選出された「総代」約330人によって組織されます。私も7年前に三好2丁目の総代となりました。ただでさえ、目立つ存在だからこそ偉そうにするな。謙虚な姿勢を崩してはならないと厳しく教えられます。


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連合渡御の朝、渡御の安全を祈願する「六部」の総代。


連合会は、近隣の町を束ねた7つの部会に分かれています。三好2丁目の場合、白河、清澄、平野を合わせた「六部会」に所属しています。同じ部会の総代は特に密接に(月に1度)集まり、本部の決定事項や今後の課題を報告して対策を練ります。3年に一度繰り返されるお祭りのために、月に一度の会合は多すぎると思われるかもしれません。しかし、顔を合わせる機会を重ねることで総代間の信頼関係が築かれ、無用な争いを防ぎ、協調できるのです。総代に選ばれるのは、祭りが好きで、神輿のことがわかり、多少の押しが利く。その上で比較的、時間の自由のききやすいという中小企業のおやじが多いようです。三好2丁目を例にとると、私の家具製造の他、呉服屋、仕出し料理、建具製造、おでん種製造、寺の住職、梱包資材業など様々です。ご存じのとおり深川一帯は、戦前から中小企業の連携によって成り立っています。お祭りによってそれぞれが結束し、深川の町をまとめてきたと私は思います。


* * *


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清澄庭園の「涼亭」。


さて、お祭りまでひと月をきった7月中旬。清澄庭園の「涼亭」で、三好2丁目の顔合わせ会が開かれました。この会は別名「半纏(はんてん)合わせ会」とも呼ばれます。総代は夏の着物に揃いの絽(ろ ※捩織(もじりおり)で織られる、薄く透き通った絹織物の一種)の半纏を羽織って出席します。これは総代の正装で、夏用、冬用、神輿用の半纏があり、同じ部会の総代に祝儀不祝儀のあるときは、この半纏を着て集まるのが慣例となっています。


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「六和会」と染め抜かれた絽の半纏。


顔合わせ会には総代をはじめ、町会で組織する「祭礼委員会」の方々や、青年部である「睦(むつみ)会」の他、神輿同好会の面々が集まります。そこで当日のスケジュールや祭装束の決まりなどを確認し、各組織ごとに自己紹介を行います。神輿同好会とは、お神輿を担ぐのが好きな人のサークルのような集まりで、各団体10人〜30人ぐらいのグループとなり、各地のお神輿を担ぎに行くのです。浅草地区で95団体、墨田地区で64団体、鳥越地区で15団体等々、東京都内だけで約750の団体があります。深川の祭りは東京でも人気の高い祭りゆえに、様々な同好会から当町会の半纏を借りたいと声がかかります。各地のお神輿の担ぎ方は少し異なります。深川八幡祭りの特徴は「わっしょい」のかけ声でしょう。今は東京のお祭りでも「セイヤ!ソイヤ!」などを聞きますが、深川は昔ながらのしきたりを守り、わっしょい以外は禁止しています。また装束についても白のハンダコに白のダボシャツ、白の地下足袋と決められ、揃いの半纏を各町で貸し出します。


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同好会もそれぞれの半纏で集まります。


こうした会合を円滑にすすめ、町会の長老や同好会の方々をもてなすには、場の空気も大切です。清澄庭園は回遊式の広大な日本庭園として都の名勝第一号に指定された名園です。紀伊国屋文左衛門の邸宅跡ともいわれ、三菱財閥の岩崎家が要人を招待する場として明治期に整備し、その後、関東大震災をきっかけに東京市(当時)に寄贈されました。東京大空襲の際は、多くの避難者が庭園の池に命を救われています。


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夕暮に包まれた涼亭。まるで明治の時代にタイムスリップしたかのようです。


その池の上に浮かぶ数寄屋造りの「涼亭」は、1909年(明治42年)に保岡勝也の設計で建てられ、東京都選定歴史的建造物に指定されています。今は集会場として、意外と手頃な値段で一般に貸し出されています。そのかわり仕出し弁当や飲み物の用意などを自前で行うためため支度は大変でした。手作りの会ではありますが、江戸下町の風情を充分に感じてもらえたのではないかと自負しています。




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アーネストコラム酒酒落落 ニシザキ工芸社長・西崎克治さん 第1回 「現代の名工」の手による奉納板

  • アーネストコラム「酒酒落落」
  • 2012年10月01日

8月12日に開かれた「深川八幡祭り」の連合渡御。東日本大震災の早期復興祈願をテーマとした今回、史上初めて天皇・皇后両陛下がいらっしゃり、富岡八幡宮からお神輿をご覧になったニュースをご記憶の方も多いのではないでしょうか。お祭りの報道シーンというと、勇壮なお神輿を担いだり、威勢よく山車を曳いたりする姿をよく見ます。しかし、お祭り当日に行き着くまでには町の人達の献身的な協力があり、なかにはお神輿を担ぐことも、巡行を眺めることすら出来ない人もいます。こうしたお祭りの内幕を、4回に分けてご案内します。


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富岡八幡宮に集合した「総代」たち。


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私と三好2丁目の総代仲間。永代通りにて。


* * *
私の本業は、オーダー家具・キッチンの制作という立場で家づくりに関わることです。その一方、深川八幡祭りをとり仕切る「総代」としての顔も持っています。お祭りは家づくりとも共通する所の多いイベントと思います。家づくりに関わる大工や職人の多くは、完成前に別の現場に行ってしまい、竣工した姿を見ることは滅多にありません。しかし、職人たちに共通した思いは、ご家族の幸せな暮らしを末長く支える家を建てることなのです。


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ニシザキ工芸のオーダー家具実例。


さてニシザキ工芸のある「三好2丁目」周辺は、霊巌寺(れいがんじ)という江戸でも最大級の寺院の門前町として発展しました。大きな寺のまわりには、大工や建具師、木彫師、塗師など様々な職人が集まり職人町を形成します。当社のルーツもそうした職人の一人で、和家具を作る「指物師」でした。今もその技はオーダー家具・キッチンへと姿を変えながら生かされています。
当社の他にも代々続く職人は町のなかに沢山います。なかでも建具・木工職人の國友三郎さんは、厚生労働省「現代の名工」に選ばれた名工です。國友さんは三好2丁目のために「奉納板」を制作してくれました。今はベニア板に紙を張った簡単なものも見かけますが、名工の手による奉納板は町の自慢です。


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奉納板の組み立てを指導する「現代の名工」國友三郎さん。


深川八幡祭りの約2カ月前。神輿倉庫から奉納板を搬出し、町会の皆で協力して立てました。八幡祭りは3年に一度開かれますが、昨年は東日本大震災の影響で延期となり4年ぶりのお目見えです。奉納板の木枠は分解式になっていて、道の真ん中に置いて組み立てます。建具の技を生かした木枠には少しの狂いもなく、伝統的な仕口(ジョイント部)は、はめ込むだけで強固に連結されます。若い人たちにとって、伝統技術に触れるいい機会でもあります。木槌の音は町内にこだまし、お祭りが近づいたことを知らせます。


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心地よい木槌の音が町内に響き渡ります。


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精巧に刻まれた仕口を「木栓」で留めています。
組み立て・分解を繰り返しても痛みません。


深川八幡祭りの連合渡御は、富岡八幡宮前・永代通りから出発し、木場から清洲橋、新川、永代橋をぐるりとめぐる約8kmもの行程を、炎天下10時間近くかけて練り歩きます。各町から参加する54基の御神輿には、1基あたり300名以上の担ぎ手が必要です。昼食や飲み物、節目に行われる集会の他、高張り提灯などの備品、お神輿・山車の修繕、お仮屋や神酒所を建てる費用なども合わせると、各町会ごとに数百から1000万円の予算が必要となります。寄進者のお名前を掲げる奉納板は、寄進を集めるためにも、とても大切な存在なのです。深川八幡祭りは、江戸三大祭り(神田、山王、深川)のなかでも、町民の自治によって行われてきた祭りです。江戸の昔から、町の一人一人がスポンサーとなって運営してきたことに、私は誇りを感じます。


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皆で力を合わせ、奉納板を立ち上げます。


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順番を確認しながら寄進者の木札をはめていきます。




さて次回は、清澄庭園の池の上に建つ「涼亭」にご案内します。ここで開かれる「顔合わせ会」は、江戸の風情を今に伝える貴重な機会となっています。




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