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アーネストコラム酒酒落落 ニシザキ工芸社長・西崎克治さん 第2回 清澄庭園「涼亭」に集う

  • アーネストコラム「酒酒落落」
  • 2012年10月09日

今回はお祭りを企画・運営する組織についてご紹介したいと思います。深川八幡祭りは、門前仲町の富岡八幡宮を中心に開催され、正式には「富岡八幡例大祭」といいます。8月12日の連合渡御には、およそ3万人もの担ぎ手が参加し、観客をあわせ数十万人もの人々が深川に集まります。


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8月12日「連合渡御」には55基の御神輿が集結。


深川八幡祭りのエピソードで有名なのは、1807年に起った永代橋の崩落です。12年ぶりのお祭りに押しかけた群衆の重みに耐えかね、永代橋(当時は木橋)が崩れ落ちました。一説には千人以上の犠牲をだしたといわれます。ケンカや事故は祭りにつきものといわれるものの、お神輿を運営する「富岡八幡宮神輿総代連合会」は、担ぎ手と観客が融和し、伝統と「和」を大切にした安全なお祭りを実行するため、様々な工夫を重ねてきました。


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永代橋を渡る、三好2丁目のお神輿。


神輿総代連合会は、各町から5〜6名ほど選出された「総代」約330人によって組織されます。私も7年前に三好2丁目の総代となりました。ただでさえ、目立つ存在だからこそ偉そうにするな。謙虚な姿勢を崩してはならないと厳しく教えられます。


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連合渡御の朝、渡御の安全を祈願する「六部」の総代。


連合会は、近隣の町を束ねた7つの部会に分かれています。三好2丁目の場合、白河、清澄、平野を合わせた「六部会」に所属しています。同じ部会の総代は特に密接に(月に1度)集まり、本部の決定事項や今後の課題を報告して対策を練ります。3年に一度繰り返されるお祭りのために、月に一度の会合は多すぎると思われるかもしれません。しかし、顔を合わせる機会を重ねることで総代間の信頼関係が築かれ、無用な争いを防ぎ、協調できるのです。総代に選ばれるのは、祭りが好きで、神輿のことがわかり、多少の押しが利く。その上で比較的、時間の自由のききやすいという中小企業のおやじが多いようです。三好2丁目を例にとると、私の家具製造の他、呉服屋、仕出し料理、建具製造、おでん種製造、寺の住職、梱包資材業など様々です。ご存じのとおり深川一帯は、戦前から中小企業の連携によって成り立っています。お祭りによってそれぞれが結束し、深川の町をまとめてきたと私は思います。


* * *


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清澄庭園の「涼亭」。


さて、お祭りまでひと月をきった7月中旬。清澄庭園の「涼亭」で、三好2丁目の顔合わせ会が開かれました。この会は別名「半纏(はんてん)合わせ会」とも呼ばれます。総代は夏の着物に揃いの絽(ろ ※捩織(もじりおり)で織られる、薄く透き通った絹織物の一種)の半纏を羽織って出席します。これは総代の正装で、夏用、冬用、神輿用の半纏があり、同じ部会の総代に祝儀不祝儀のあるときは、この半纏を着て集まるのが慣例となっています。


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「六和会」と染め抜かれた絽の半纏。


顔合わせ会には総代をはじめ、町会で組織する「祭礼委員会」の方々や、青年部である「睦(むつみ)会」の他、神輿同好会の面々が集まります。そこで当日のスケジュールや祭装束の決まりなどを確認し、各組織ごとに自己紹介を行います。神輿同好会とは、お神輿を担ぐのが好きな人のサークルのような集まりで、各団体10人〜30人ぐらいのグループとなり、各地のお神輿を担ぎに行くのです。浅草地区で95団体、墨田地区で64団体、鳥越地区で15団体等々、東京都内だけで約750の団体があります。深川の祭りは東京でも人気の高い祭りゆえに、様々な同好会から当町会の半纏を借りたいと声がかかります。各地のお神輿の担ぎ方は少し異なります。深川八幡祭りの特徴は「わっしょい」のかけ声でしょう。今は東京のお祭りでも「セイヤ!ソイヤ!」などを聞きますが、深川は昔ながらのしきたりを守り、わっしょい以外は禁止しています。また装束についても白のハンダコに白のダボシャツ、白の地下足袋と決められ、揃いの半纏を各町で貸し出します。


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同好会もそれぞれの半纏で集まります。


こうした会合を円滑にすすめ、町会の長老や同好会の方々をもてなすには、場の空気も大切です。清澄庭園は回遊式の広大な日本庭園として都の名勝第一号に指定された名園です。紀伊国屋文左衛門の邸宅跡ともいわれ、三菱財閥の岩崎家が要人を招待する場として明治期に整備し、その後、関東大震災をきっかけに東京市(当時)に寄贈されました。東京大空襲の際は、多くの避難者が庭園の池に命を救われています。


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夕暮に包まれた涼亭。まるで明治の時代にタイムスリップしたかのようです。


その池の上に浮かぶ数寄屋造りの「涼亭」は、1909年(明治42年)に保岡勝也の設計で建てられ、東京都選定歴史的建造物に指定されています。今は集会場として、意外と手頃な値段で一般に貸し出されています。そのかわり仕出し弁当や飲み物の用意などを自前で行うためため支度は大変でした。手作りの会ではありますが、江戸下町の風情を充分に感じてもらえたのではないかと自負しています。




ニシザキ工芸
http://www.nishizaki.co.jp/        




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