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アーネストコラム酒酒落落 長渕悦子さん Vol.4 「みんなで一つ」

  • アーネストコラム「酒酒落落」
  • 2012年3月26日

Vol.4 『みんなで一つ』




最終週はインドの南部ムンドゴッドにあるチベット難民キャンプでの花物語です。


三年ほど前から毎年様々な物資をキャンプに贈呈させて頂き、少しばかりの支援をさせて頂いています。その物資の中の、タオルやTシャツを身に纏った村の人達の、笑顔の写真に私たちも勇気付けられて来ました。
そしてやっとこの地を訪れることができました。


インドの真ん中あたりにムンバイと言うところがある。インドの首都はデリー。そのデリーより少し南下した場所にあるムンバイは、日本でいえば東京に対する大阪のようなインドの二大都市のひとつ。
そのムンバイから車で約一時間。山あり谷ありの農村を幾つも越えた場所にムンドゴッドはあり、その地域の一部がチベットの難民キャンプとして存在する。
この舗装のされてないガタゴト道、一時間の道中に見たインドは文明からタイムスリップしたかのように、人間本来の原始のエネルギーに満ち溢れた姿があった。
道路を闊歩する水牛たち、それを追う農夫、頭に大きな籠を乗せ裸足で歩くサリー姿の女性たち、牛車を巧みに扱う少年たち、その目に飛び込んでくるすべての光景はなんとも凄まじい力に満ち溢れていた。
(以下写真撮影:長渕悦子)


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広大な田畑を抜けたところにチベット、ムンドゴッドキャンプはある。
ルンタと呼ばれるチベット文化の象徴である、赤黄青緑白の5色の旗が風になびく。
ここからはインドが持つ独特なエネルギッシュな景色から、一変、優しい色となる。キャンプは第一から第九まであり約400世帯がここに暮らす。
キャンプ村には真っ赤なブーゲンビリアが咲き誇り、個々の家々には牛が繋がれている。とてものどかな農村だ。


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私たちの到着を今か今かと待ってくれていた光景は圧巻だった!
チベット文化にはカターと言ってチベットシルクの白い布を、歓迎などの祝福の際に相手に首から掛ける慣わしがある。
幼稚園児からお年寄りまで一体何人の人達が出迎えてくれたのだろう!
約100人近くの人達の敬愛を意味するカターでの歓迎はあまりにも衝撃的で、車から降りた私は脚が震えた。熱い思いの湧き上がる感情を抑え、出迎えてくれた人達の温かさをしっかりと胸に抱いて奥に進んだ。


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同行して下さったのは埼玉医科大学の医師、西蔵ツアン先生。チベットから9歳の時、一家でインドに亡命、13歳の時に日本に渡り以後、日本に帰化される。
長渕剛の歌「ガンジス」の元になった1992年のインド渡航もこのツアン先生に同行して頂いている。


チベットは1950年以降、中国から辛辣な弾圧を受けており、インドに基本的人権を求めて亡命した人が現在まで、このムンドゴッドを含めて15箇所、7万人がいる。
ここムンドゴッドのキャンプ村の歴史はすでに50年以上あり、学校、病院、僧院など、人の暮らしに欠かせないライフラインは確立されているのだそうだ。そう言う意味ではアフリカのような「難民キャンプ」という言葉の持つ飢饉に喘ぐ飢餓状態の生活ではない。自然と共存する人間本来の生身の生活が感じられる。


100本近い聖なるカターで出迎えて頂き、感無量のうちに歓迎のセレモニーを受ける。
チベット民族舞踊を見せてくれた園児の愛くるしい姿、歌声。
平均年齢16歳ぐらいの少年少女たちの群舞の清々しさ、そして遠く帰れぬチベットを思い、歌ってくれた少年の「故郷を思ふ唄」、どれもこれもが強烈に心に刺さる。
そして皆の、その純粋な顔。動き。声。瞳。


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私は東京より二個の花器とアレンジを挿す緑の吸水スポンジを用意して行った。インドの花で私がアレンジメントを作り、それをプレゼントする予定でいた。
しかし私がお花屋さんに行く前に、その話を聞いたチベットキャンプ村の婦人会長さんがたくさんのお花を届けてくださった。


ならば、これは私一人が作るのではなく、「キャンプの人たちで一緒に作れないか!皆で一緒に一つのお花をを作れないか!」
その綺麗で可憐なムンドゴッドに咲く花たちを見てそう思ったのだった。
先程の踊りを披露してくれた園児から、小中高の子供達と、引率の先生方約30人が幼稚園室に興味深く集まってくれ、皆で一つのアレンジメントのやり方を面白く、可笑しく聞いてくれた。
一本ずつ好きな花を持ってもらい、一人一人それを上手にハサミで切って挿し、綺麗に形作っていく。
もちろん、全員このようなことの経験は無く、一本ずつ緑の吸水フォームに挿す感触が奇異なのか快感なのか、園児たちは、「きゃ!きゃ!」とはしゃいでいた。


そして工夫の挙句、30分後みんなの結晶の二個のアレンジメントが完成!!
どこからともなく盛大な拍手が湧いた!
例えこの花の形が不揃いだとしても、これは国と世代を越えた何より強い絆の架け橋が完成したのだった。


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それからは高校生のお兄さんたちがドラムを叩いて見せてくれたり、女子と共にブレイクダンスを躍ってくれたり、出来たばかりのバスケットコートでナイスシュートを見せてくれたり、最後にキャンプの奥にあるチベット仏教の寺院をも案内してくれた。
男の子達全員が流暢な英語で、チベットの歴史やそれぞれに祀ってある仏陀の意味する事を一生懸命伝えてくれる。そして仏に向き合った時の所作など、とても10代後半とは思えない礼節のある真摯な態度に、私はとても深い衝撃を覚えた…
日本の同じくらいの子供達がどこまで日本の仏像の意味することを言えるだろう……いえ、このわたしも含めてだが。
改めて母国をこの上なく愛し、尊ぶこのチベットの子達の熱い思いに感銘を覚えないではいられなかった。


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写真上:届けた衣類やタオルをまとった村人たちと笑顔の記念撮影
写真下:長男(中央)を加えて出来たばかりのバスケットコートにて
     試合を行った


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寺院を案内してくれたチベットの子供達と


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私が里親になっているテンジンちゃん


今。チベットの人口は600万人と言われている。そのうち、諸外国に亡命をしている人が約10万人、そのうちの7万人がインドへの亡命である。
人権尊重を求めて子供だけをインドに亡命させる親も沢山いる。真冬のネパールを自分の脚だけで越え、ダラムサラまで亡命してくる子供達の勇気を称えたい。そんな子供達を集めたTCV(TIBETAN CHIDLEN´S VILLEGE) は、分校も含めて今や1万5千人になろうしている。
ここを私は是非今年訪ねたいと思っている。


「清貧」という言葉があるが、まさに清貧の持つ人間本来の生身の生活をびしびしと見せつけてもらった。復興にかけた戦後の日本の匂いだ。私の父母の青春時代と重なる。
生活に華燭は要らない。華燭をそぎ落とした時、人間本来の暮らしに必要なものが見えてくる。


それは何。
それは自然と共存する姿。
それは何。
それは一生懸命に生きようとする姿。


幸せの定義はそれぞれにある。
その考え方も様々だ。
しかし、「無い物に苦しまず、有るものに満足し感謝する」彼らの生き方は畏敬の念の何物でもない。


帰り際、婦人会長さんが
「このキャンプの地に皆で花を植えてみようとオモイマス。花は皆を笑顔にシマシタ」
この言葉は嬉しかった。




今年、3月10日(土)
渋谷にてチベットの平和を願うピースマーチと言われるデモ行進に参加しました。
宮下公園を出発点として、渋谷スクランブル交差点〜青山246号線〜原宿メインストリート〜明治通り〜宮下公園と約一時間、日本一若者で賑わうこの場所を拡声器にて、チベットの平和を願いシュプレヒコールを繰り返しました。私たちの叫ぶチベットの現状と、中国政府に対する抗議を道ゆく人たちも立ち止まって耳を傾けてくれていました。
私たちのできることは小さいかもしれません。
しかし今、世界で起きている様々な惨状に耳を傾けることは大きな力に繋がる一本の命綱なのかもしれません。


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西蔵ツアン先生(左)と私




最後に・・・・・


4週に渡って今、私の感じる事を書かせて頂きました。
そのどこにも花との関わり合いがあります。
花の、植物の持つ生命力に私たちは癒しとパワーを頂いています。
たとえ刹那の輝きだとしても、その生命力は生き生きとした美しさを見せつけ、私たちに活力を与えてくれます。また刹那だからこそ一層輝いて見えるのです。


私たちが生きている時間にも限りがあります!
この時間を有意義なものに変えて、これから私たちが子供達に明るい未来を感じられるよう「希望という命のリレー」を紡いでゆきたいと思います。









長渕悦子様のツイッターはこちら。
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アーネストコラム酒酒落落 長渕悦子さん Vol3.「福島第一原発 20キロ圏内警戒区域、浪江町に立ち入る!」

  • アーネストコラム「酒酒落落」
  • 2012年3月19日

Vol. 3 『福島第一原発 20キロ圏内警戒区域、浪江町に立ち入る!』


テレビ朝日「3・11報道STATION スペシャル〜愛おしきあなたへ〜」の現地取材が2月25日に福島県浪江町で行われました。これはその取材に同行させて頂いた時の私の記録です。



2012・2・25
12:05

南相馬の「道の駅」にて全員防護服に着替える。
ゴム手袋は二重。
長靴に履き替え、さらにその長靴が地面に当たる部分をビニールの靴袋で覆う。
そしてゴム手袋と防護服、長靴と防護服の接着部分をガムテープで何重にも留める。
最後にマスク、ゴーグルを装着し完全密閉。
身体をすべての物で覆い尽くす。


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12:45
二台の車に乗り込む!当たり一面の銀世界…
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13:15
窓外の静寂。車内の緊迫。相反する。
沈黙が続く車内。


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メモをとる私


浪江町20キロ圏内立ち入り禁止区域の検問所を通過!


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自分が撮れるこれが最後の写真



13:50
浪江町駅前に到着。
駅から続くメイン通りの商店街を歩く。放射線量平均1.5マイクロシーベルト。(ちなみにその日の東京0.04マイクロシーベルト)
完全崩壊の日本家屋の食堂。曲がった街灯。扉が空いたままの雑貨屋。品物がそのまま陳列されているパン屋。駐車場に残された何台もの車。
黄点滅する 信号。
降りしきる雪…
命が一つも無くなった町!

これが今、日本に起こっている現実、この現実を思い知らされる!


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14:30
立野地区
突然、目の前に二頭の黒和牛が現れる!突然の命の出現!近寄っても逃げない!
こちらをじっと見つめる瞳…その瞳の可愛さが強烈な痛みとして私の胸をえぐる…
ピーピーピーピー!危険を知らせる鳴り出す放射線量計!
放射線量10マイクロシーベルト。
ここで生きてる…牛たち…


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路上の溝は異常に高い放射線量
最高値15マイクロシーベルトを記録した



15:05
苅野地区
被害を受けず田んぼの真ん中に掲げられている看板。
『みんなで作る明るい苅野』
裏切られたその言葉。
酪農家の牛舎。
牛のいない残酷で無惨で空虚な「そこ」を主(あるじ)に付いて入る。牛は一頭たりともいない。
が、強烈に漂う死の匂い。 カメラを回さないのを約束に牛舎の外に広がる雪の牧草地に案内される。
そこにはショベルカーで掘った巨大な穴があった。手前にはブルーシートがかけられてあったが奥には幾重にも重なり合った黒い大きな和牛の遺体がむき出しになっていた…
その光景!牛の顔!腕!脚!

私は静かに防護服の中で一人声を上げて泣いた…



16:15
浪江町の最大の被害地 海岸線に沿った請戸地区に移動。
福島第1原発より約4キロ地点。
林の向こうに建屋の4本の煙突を見る。
いくつもの漁船が、テトラポットが、打ち上げられたまま放置。
残った請戸小学校の校舎と体育館が海岸線より数百メートルのところに見える。
荒れ狂う海。白波がいくつも押し寄せテトラポットに砕ける大波の、しぶき。
海岸線に広がる請戸地区の住宅は無残にもその形を一切残さず…
広がる「無」に支配されている。


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写真右上:田んぼに流れて来ているお墓(手前)や船(奥)
写真下:5km先に福島第一原発が見える


暗く立ち込める雲が、この答えの出ない大罪の今後を象徴しているかのように見えた。
「 死の町」と言って謝罪した政治家がいたが、住民への配慮ならそれは撤回して謝罪すべきであろう。しかし私たちの反省と言う観点でいうなら、これは本当に「死の町」を作ってしまったと思った!
ここには確実に「命」が存在しない…
ここで生きている動物たちには「力のある命」が存在しない…

このあまりにむごたらしい惨状と刻々と変化する線量計の高数字に囲まれそれでも誰が原発の存在意義を唱えられるのだろうか…


* * * * *
約4時間、浪江町の中を歩かせて頂きました。私が見て来たものを言葉でどう表現して良いのか、どうしたらお伝えできるのか…正直言葉が稚拙で歯痒いです。
私たちが良く見るコンパスで囲まれた警戒区域の20キロ圏の半円は地図上では小さいです!
しかしその半円は本当に広大でした!
橋を渡る時、浪江の町が一望出来る場所がありました。何百何千と言う屋根が見え、それはまるで「これは雪の寒さからただ人が外に出てきてないだけ!本当はお家の中に皆、いるんだ!」と錯覚をおこすような普通の当たり前の雪の風景でした。
しかし…


南相馬に戻って来た時に別場所から駆けつけて下さった浪江町の
馬場有(たもつ) 町長さんとお会いが出来、東京から作っていったお花と手紙をお渡しする事が出来ました。が、今の私にはそんな事しか出来ませんでした。
目をつぶると、昨年夏に鹿児島県霧島市でサマーキャンプをした時の、浪江町の子供達の一人一人の顔が浮かんで来ます。
どうか私たちの未来である子供達に、笑顔を取り戻す事が出来ますように…
それはそれが物凄い苦難の道であっても、もう一度原発のあり方を考えなければいけないのだと思います。


どの国がその見本を示す事が出来るのでしょうか…
どの国がその事をやらなければいけないのでしょう!
答えは一つだと思います…


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帰路後南相馬でスクリーニングテストを受ける
全行動における積算量は0.4マイクロシーベルトと告げられる


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写真左:馬場町長さんと
写真右:お渡ししたフラワーアレンジメント


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私の花を手紙も付けて飾って下さった記者会見


最終週はインドにあるチベット難民キャンプのことを書きます。


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アーネストコラム酒酒落落 長渕悦子さん Vol2.「それでも、負けない息吹!」

  • アーネストコラム「酒酒落落」
  • 2012年3月12日

Vol. 2 『それでも、負けない息吹!』


それは陽だまりの温かさを少しだけ感じさせる穏やかな春の午後だった。田園調布、花工房胡桃のアトリエで前田先生と私は二人で机に向かい、手には色とりどりの花たちが舞う。
それはいつものように。
その日の花材はチューリップ、アネモネ、スイートピー、ヒヤシンス、春の優しい香りが私達を包んでいた。
目の前の花を手に取り、工夫を凝らせながら、それを自分の定めた位置に射止めていく!
その日の難関はチューリップの長く伸びた茎を湾曲させながら桜の枝にワイヤーで止めていく事だった!
私の座っている向かいにもチューリップを満載したツル籠が天井からぶら下がっていた。
本当に穏やかな春を予感させる普通の陽だまりの午後だった。

数分後、身体に強い揺れを感じる。
それが地震だと気付くには時間はかからなかったが、その天井から吊るしたツル籠の揺れ幅の大きさは尋常ではなかった!
棚に陳列している数多くのガラス花器、花瓶、シリンダー、全ての物が強い振動に揺さぶられ、ぶつかって立てるガラス音が不気味で尋常ではなかった!
思わず机から立ち上がり両手で押さえ込む!
しかし二人が両手で押さえ込める数ではない!
そして異様な地響きとも取れる轟音を感じたように記憶している!瞬間!
次々と弾け出す水!倒れる花瓶!咄嗟に私はまだ倒れていない大きなガラス花器を倒して廻った!
地震という全くなす術が無い天の牙が歯を向いて襲いかかって来た瞬間だった!

忘れもしない、私の2011・3・11

この時点の私は、この後に次々と起きていく日本歴史上の大惨事を想像すべくもない!
いや、だれが予期出来たであろう!

以下は「それからの一年」の私の被災地との記録です。

2011・4・6
福島県須賀川市に4tトラック一杯の物資を自らの運転で届ける。


  橋本市長さんが須賀川アリーナに案内して下さり、
  避難している警戒区域の方達のお話しを聞く。
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4・7
深夜仙台市到着。


  ホテルの部屋に到着後、震度6強の地震に襲われる。
  その想像を絶する強烈な揺れにホテルから 悲鳴があがる!
  停電!真っ暗な中、戸外に避難。全市が停電。交通網麻痺。
  仙台駅前はパトカー、救急車が赤い点滅と共にサイレンをならし
  パニックとなる。
  翌朝やむなく東京に戻る。

4・15
岩手県山田町、大槌町に再びトラックで物資を搬入。


  片道10時間。東北自動車道に残る沢山の亀裂、断裂が
  生々しい。初めて見る漁港町の被災の惨状に息が出来
  ない程の衝撃を受ける。
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写真左:山田町 高さ8mの巨大防潮堤の決壊
写真右:船が建物の上に

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海を見下ろす高台にて

4・16
自衛隊慰問、宮城県立総合運動競技場と松島航空基地。


  門をくぐると脚が震えた!東日本大震災における宮城県
  自衛隊の前線基地、総合運動競技場は全国各地から自
  衛隊員が集められ、行方不明者の捜索に異様なまでの
  緊迫感に包まれていた!

5・3〜5・12
仙台市に宿泊先を構え七ヶ浜町にて10日間のボランティア活動を行なう。


  〜活動の内容〜
  ・写真を含む遺失物の洗浄、展示
  ・個人宅の瓦礫、汚泥撤去
  ・七ヶ浜国際避難所、中央公民館の清掃
  ・ 多賀城自衛隊の方達と仮設住宅に日常生活物資を搬入
  ・仮設住宅への引越し、入居後の手伝い
  ・ フリーマーケットの実施
  ・スタジアムで行われたサッカー教室の駐車場誘導
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写真左:瓦礫撤去後の家屋
写真右:全国各地から集まったボランティアの若者達と
     瓦礫撤去をする(ヘルメットが私)

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写真左:写真の洗浄と展示
写真右:自衛隊員と一緒に物資の仕分け

  名前を名乗らずマスクのままボランティア活動をさせて
  もらった。この時に見た現地の人たちの力強さ、日本中
  から集まった善意の物資、海外からも来ているボランティア
  の人たちの心意気に直接触れ、この10日間で日本の津
  波災害におけるボランティア活動の多くの事を学んだ。

6・14
再び七ヶ浜ボランティアセンターを訪ねる。


  主任の星真由美さんが元気に迎えてくれる。

6・15
石巻小学校の児童を訪ねる。NHK SONGS日和山公園収録。


  雨の中の子供達の元気いっぱいの歌声は多くの人に力を
  与えた。
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8・1〜8・8
福島県浪江町の児童20名と鹿児島県霧島市にてサマーキャンプ。


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写真左上:バナナボートでひっくり返って皆で大笑いした
写真左下:全員で無人島に到着
写真右:最後の夜のお別れ会で流した子供達の涙は忘れない


8・11
4月に訪れた岩手県山田町に再び行く。三県が同時刻に合同で慰霊花火大会を行なう。


  瓦礫がかなり撤去され、住宅地跡地からは一斉に青々と
  雑草が生い茂り目の前の緑の平野は、初めて見たあの日
  の山田町から 復興の匂いを感じた。
  牡蠣の養殖が復活した山田湾から上がる花火は見事な
  大輪を咲かせ、涙と共に胸が震えた。
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12・31
石巻市門脇小学校跡地。NHK紅白収録。


  厳寒の中、地元の人たちの応援が有難かった。

2012・2・18〜19
岩手県、陸前高田、大槌町、気仙沼を訪ねる。


  大槌町役場の中村課長さんと10ヶ月ぶりの再会。物資を届
  けた震災直後のまるで戦場のような緊迫感漂う仮役場の中
  での初対面がよみがえる。
  だいぶ落ち着いた状況になった事を聞き安心する。
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写真左:大槌町役場町民課 中村一弘課長さんと
写真右上:気仙沼 今なお残るタンカー 
写真右下:陸前高田 どこまでも続く鉄材の瓦礫

一年間を通して各地で見てきた被災地での現状、そしてボランティアを通しての実体験は本当に多くの事を学ばせてくれました。
瓦礫汚泥撤去の凄さは言葉では言い表せません!しかし数時間で見事に片付ける人間力の凄さもまた痛烈にまざまざと体感し感銘を受けました。
東北には「人間の目は臆病だけど人間の手は強い」という言い伝えがあるそうです。
まさに人間の力の結集には凄まじいものを感じました!

かけがえの無い命が、形ある物が一瞬にして目の前から消され、流される。
どんなに辛くてもそれでも残るのは、真正面から生きる命と、連帯や絆に見る真の思いやりの心、そして積み重ねた思い出、そういう無形のものが何事にも代えられない一番大事なもの、前に進ませてくれるものだと思いました。
それこそが明日への力になることを痛烈に感じたのでした。

この一年私は私自身の価値観を改めて考える沢山のものをこの目で見させて貰ったのでした。

最後に私が被災地で見た、「負けない!力強い!この植物の息吹!」を見て下さい。

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瓦礫撤去後に見つけたド根性アスパラ(七ヶ浜)

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塩害にもめげず花を咲かせた5月のアヤメ(七ヶ浜)

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被災した人たちを和ます日和山公園の脇にある
喫茶店「かざみどり」の見事な薔薇の木(石巻)

くしくも昨日で丁度丸一年を迎えました。 犠牲になった多くの方達のご冥福を心からお祈り申し上げます。 と共に、だからこそ今、日本が大きく変わらなければいけない岐路に立たされている事を深く実感しています。

2011・3・12 長渕 悦子

次は立ち入り禁止となった福島第一原発警戒区域、浪江町の中を書きます。

長渕悦子様のツイッターはこちら。 http://twitter.com/#!/cleopatraetsuko

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アーネストコラム酒酒落落 長渕悦子さん Vol1.「花に酔う」

  • アーネストコラム「酒酒落落」
  • 2012年3月05日

今回お話しを頂きました長渕悦子(志穂美悦子)です。


昨年の暮れに私の初のフラワーアレンジメント作品集『INSPIRE』〜いちかばちか〜を発刊することが出来ました。
初アレンジメントを作った日からわずか
一年間で創った作品は300点強になりました。


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作品の撮影はアーネスト駒沢展示場でも行わせて頂きました。
展示場のエレガントなインテリアでより華やかなイメージに…。


今まで創った全ての作品を自分自身の手で撮りためていたので、その300点強の中から72点に厳選しました。デザイナー湊篤雄氏と共に細部に渡ってこだわり創り上げたものですから上梓した時は感慨ひとしおでした。
今回のこのブログ寄稿のお話しを頂き、私はいま一番好きな「花」との関わり合い〜またボランティアを通して見たもの〜を4週に渡って書かせて頂こうと思っています。
どうぞよろしくです!


『花に酔う』


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今お気に入りの大事に育てている
「ピエール・ドゥ・ロンサール」のツルバラ。


人には必ず大好きな事がある。
それは歌を歌うことだったり、文章を書くことだったり、話すことだったり、はたまた…走ることだったり、踊ることだったり…それがプロとなるとさらに追求し、永遠の探究となる。そして探究の先にあるもの、それが時としてその人を苦しくもしてしまうものなのかもしれない。
しかし
「好き」の延長線上に「酔う」というものが存在するように思える。
好きなことは、その人自身を酔わせてくれているのだ。私はお酒は飲まないが、お酒を飲んだ時の気持ちがよくなるあの感覚に似ているのだろう。
私は、花と向き合うと この「酔う」というものに大きく包まれる。
この感情が何とも言えない。何とも言い難い至福の時であったりするのだ。
そう!「花に酔う!」


私のガーデニング歴はかれこれ20年になる。ガーデニングの花植えからトマトやキュウリの野菜作りにまで発展し、その野菜作りからさらに発展し、我が家の小さな庭でニワトリを飼ったこともある。
主人の故郷鹿児島から茶色の大きな地鶏をツガイも含めて三羽運んでもらい、それが月日と共に何回となく雛をかえした。その賑やかなこと。
種を巻いたひまわりが咲き乱れていた夏に放し飼いの地鶏たちが高い木の上から(鶏は放し飼いにしていると野生化して木の上に留まったり飛んだり出来るようになる。)ある日、飛び過ぎて塀を越えて行き交う道路に舞い降りたこともあり、慌てて捕まえに行ったこともあった。(あの時は本当に慌てた !)
きっと田舎育ちの私は無類の自然派なのだろうと思う。
とにかく花や野菜の種や苗を買って来ては庭に植え、時には鉢に植え、我が家での自然を楽しんでいた。
花もだが土に触れることが何より無心になれた。
心がホッと落ち着くのだ。そんな事を続けた15年。


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さまざまな草花を使って。
個性的なチェアの上はオウムのピーちゃんの定位置。
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バラが咲く時期は庭が華やかに。


そんな我が家に二年前、一つのお花が届いた。
2010年4月23日。
義父の6回目の命日。
供花とは白、あるいは淡い色合いの物であるという私の概念をものの見事に打ち砕いた供花が届いた。
濃いボルドーのカラーと深緑のマムを組み合わせた色の濃い花群であった。花器は四角い黒のお皿。。それはそれは強烈な個性を放っていた。
手に取ったあの日の事は忘れない。
実にその日が私とフラワーアレンジメントの忘れもしない出会いだった。
こんな花を創ってみたい!こんな花を贈れるようになりたい!


仕事柄、今まで沢山のお花をいただく機会に恵まれ、沢山のお花を手にする事が多い私ではあったが…目の前のこれは「個の思いが詰まった力のある作品」だった。
田園調布にある『花工房胡桃』はベルギーが生んだ世界的なトップフラワーデザイナー ダニエル オスト氏の内弟子として長きに渡り研修を積んだ2人の女性、清水はるみ先生、前田玲子先生のユニット名。
私が受け取ったこの作品の創り主である。
ベルギー!!
なるほど斬新な筈である。初めて習いたいと思った。


時をほぼ同じくして私が仲良くして頂いている貴乃花親方の女将さん、花田景子さんからフラワーアレンジメント創作のお誘いを受ける。
「自分が好きなようにお花を作れるの。」
赤井勝先生の主催する『装花の会』は先生が朝、市場で仕入れた季節の多種多様の花々を
生徒が自分の手で選び、自分流にアレンジメントしていく。とは言え、初心者、新参者にはそのほうがきつかった!(笑)
いわば独創性を養う自分独自の個性の場であり、自分が試されている場であり、自分に課する場でもある。


2010年 薔薇が一斉に開花する5月
この二つの異なる場所と我が家の自主練で私は花との楽しくも…でも初のニッパー使いで手にマメが出来る程の格闘が始まる。
写真を撮ることが趣味の私は毎回作ったアレンジメントの花を撮り続ける。
365日ほぼ毎日何かを作っていたように思える〜わたしの暮らしにフラワーアレンジメントは無くてはならないものになっていった。 花の力強い生命力と刹那の輝き、それを人間の手でアート性に変えていくことの面白みはガーデニングとはまた違った喜びであった。
最初の一年で作品の数300点を越える。。


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2011年11月花作品集「INSPIRE」を発刊。
2012年2月 BSプレミアム「美の壺」の出演。
2012年3月「六本木フォトコンテスト」
『摩天楼に花のブーツ!』優秀賞受賞。
二年前の自分からは想像も出来なかったことだった。




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